速川の紹介
2025.12.05
スポット ・ 人物
万葉ゆかりの早借舟山公園
速川地区の玄関口にある舟山公園。
こんもりとした丘にはたくさんの花が咲き、速川地区の美しい田園風景を特徴づけています。


2024年と2025年には春・夏・秋それぞれに地域を巡るツアーを実施。舟山公園、市原メロン農園、里山工房ficoを訪ね、参加する人に四季折々の魅力を伝えました。




ツアーを企画したのはまちづくり協議会の待寺さん。「ツアーで巡る事で土地全体の魅力を感じてもらいたい」と話します。

待寺さんは舟山公園のyoutube番組も制作されています。
舟山公園の何よりの特徴は、地元壮年会が中心になってつくった「手づくり」の公園であること。
荒れ果て暗い印象を及ぼしていた舟山を、なんとかしようと壮年会による美化活動が始まったのが2009年。地元地権者の委任状を集め、舟山再生整備事業がスタートしました。
2010年には森林組合により鬱蒼とした杉や竹林を伐採、地区住民総出で伐採枝の片付けや草刈りが行われました。2011年にはまた地区民総出による植樹祭を行い、150本の桜やドウダンツツジなどを植樹。その後も毎年、桜やハナミズキ、梅、紅葉などが植樹され、舟山公園の四季を美しく彩っています。
2015年には間伐材を利用した展望台が完成し、翌2016年には舟山公園完成披露会が行われました。



舟山公園のもうひとつの特徴は、大伴家持と万葉ゆかりの公園であることです。
速川地区には国学者であり万葉研究の第一人者である中西進氏が幾度も来訪。令和元年2019年には中西氏揮毫(きごう)の万葉歌碑や平和を願う想いを込めた鐘が、地区民の寄付で設置されました。



公園内には地区民が詠んだ短歌も飾られています。
万葉集の編纂に関わった大伴家持は、天平18年(746年)から天平勝宝3年(751年)にかけての5年間、越中に国司として赴任し、多くの歌を残しました。
国司とは当時の県知事のような役割で、家持は出挙(すいこ)の職務のため、伏木にある国府から、氷見~羽咋~珠洲までの能登全体と、砺波~富山~魚津のあたりまでを巡行。
速川地区でも臼が峰往来を超えて羽咋に出た際の歌を残しています。
之乎路(しおじ)から 直超え来れば 羽咋の海 朝なぎしたり 船梶もがも
(之乎路の山道をまっすぐに超えてくると、羽咋の海は今まさに朝凪している。船の櫂でもあったらよいのに。)
また家持は、当時の射水郡の長官、安努君広島(あぬのきみひろしま)の邸宅で開かれた送別の宴にて、越中における最後の歌を詠みました。
安努君広島の拠点は氷見にあったといわれており、邸宅の場所は定かではないものの、速川地区の小窪廃寺付近にあったのではないかとする説があります。
玉鉾(たまほこ)の 道に出で立ち 行く我は 君が事跡を 負ひてし行かむ
((たまほこの)道に旅立ちして行くわたしは、あなたの治績を背負って行こう)

「舟山公園は田舎の小さな公園ですが、万葉と令和を体感が出来る日本でも貴重な公園です。万葉に想いを馳せながら、令和ゆかりの公園を散策してみませんか。元号令和の考案者中西進先生が平和への願いを込められた日本で唯一の歌碑と鐘が有ります。天空に響くように鐘を鳴らしましょう」
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